nampoopoo’s blog

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「子どもを信じること」


出産後に病院を退院してまず思ったのは、「この複雑そうな赤子を詳しいマニュアルなしで世話するのか……」ということだった。入院中は「おむつの替え方も、授乳姿勢も何にもわからん!」となっていても、プロである医師や助産師がいるから、恐らく大変なことにはならないだろうという安心感があった。しかし、家に戻ってからは、湿疹がちょっとできただけでも「わからん……」とぼうぜんとし、スマホで検索して、真偽入り交じる情報の海の前に、さらにまたぼうぜんとしていた(その後WELQ事件が起きた)。

保育園に入ってからは、看護師もいることだし、私がぼーっとしていても息子はとりあえず日中は、月齢に合った細やかな肉体的ケアを受けられるだろうと、ちょっと安心した。しかし、その後息子は育ち、2歳を超え、肉体的だけでなく、しつけなどの精神的ケアの必要性が増えた。こればっかりは、保育園ではどうにもならない。トイレトレーニングは保育園でやってもらえても、泣き叫ばずに自分の意思を伝える練習は親がやらなければならない。

そんなわけで、いろいろなしつけに関する育児の本を買い求めたのだが、今のところ一番のお気に入りは、「子どもを信じること」だ。

子どもを信じること

子どもを信じること

先日、息子に嘔吐が続いて、小児科に連れて行った。以前から息子は診察が怖いようで、待合室ではご機嫌で遊ぶのに、名前が呼ばれると体がこわばり、診察室には抵抗して自分で行くことはなかったし、診察中もひどく泣いていた。先生は工夫されていて、聴診や喉を見る前に、必ずこれからすることを描いた絵を見せたり、おもちゃをもたせたりして気を紛らわせてくれるのだけど、息子にはあまり効果がないように見えていた。

それが今回は、診察室に抱っこされて入るところまでは同じだったが、そこから先が違った。泣かずに素直に先生の言うことに応じていた。最後にいつもはやらない溶連菌感染症の検査があって、喉を綿棒でこすった時は泣いてしまったが、その時だけで、その後は普通にしていた。先生も私もびっくりして褒めたら、誇らしそうな顔をしていた。家に帰ってからも、「泣かなかったの」と何度も言っていた。

これは「子どもを信じること」の中にある、「子どもは良くなっていこうとする力を持っている」という言葉そのものだと思った。診察室でひどく泣いてしまうことを、彼は彼なりになんとかしたいと思っていたのだと思う。恐らく診察室で何が行われるのかをきちんと記憶していて、だから最後の検査が予想外で泣いてしまったのだろう。

私が命令して、従わせることはできるけれど、本当の意味でできるようになるのは、彼の意思によって行われたときのみなんだろうな、という感覚を得た出来事だった。彼はまだ2歳だけどちゃんと世界を捉えていて、どうすべきかを考える力があるんだろう。それは私の捉え方とは違うことがあるのかもしれないけれど。